私が大学生のとき、中村一義の「キャノンボール」という曲をきいて、こんな文章を書いていたことを思い出しました。


「僕は死ぬように生きていたくはない」なんて言葉だろう…私の中に衝撃が走った。
私は身近に死んだ人がいないこともあって、死というものをあまり実感したことがないし、考え込んだこともない。
でも、とっても悲しいことなんだろうなって思う。
昨日この世に存在していた人が今日はいないだなんて、意味分かんないし、涙出るよ。
もし私が死んだら…って考えるのも分けわかんない。
でも私が死んでもみんなの心の中で生き続けるような「生き」方がしたい。
ただ生きるなんてまっぴらだ。
「生き」なきゃ。

私の人生を大きく変えた音楽。




このころの私は、なぜかとんがっていて、
お洋服もハイブランドなんかをきていて(お金がないのにね)
人と違うことがしたくてしょうがなかった。

ただ生きるなんてまっぴら。。。

ただ生きるのも大変なのにね。

偉そうだね。
まだ世の中知らなかったんだね。


でもこのころの芽生えたパワーにより、今の私がいることは事実です。


「僕は死ぬように生きていたくはない」







1年前から入院していた、私のおばあちゃんが死んでしまいました。


早朝に携帯電話がなり、それは母からでした。

突然でした。

分かってはいたのだけど、突然でした。


まだ実感がわいてこない私は、その日はお仕事を笑顔でこなしていました。
でもその帰り道、電車に乗って音楽をきいていたら、
地下鉄でポロポロ涙がとまらなくなりました。

すごくさみしくて。
おばあちゃんがウチにいたころの光景が思い出されてなりませんでした。

お花が大好きで、小学生の私によくお花を持たせてくれました。
家の玄関の前にはいつもキレイなお花がたくさん咲いていました。
ご近所のみなさんがその前を通ると、
「いつもきれいやね」
って私にも声をかけてくれました。
すごくうれしかったです。

新聞を見たり、地図をみたり、日の入り日の出時刻を調べてメモをしたり、 
大好きなドラゴンズをテレビを見ながら応援したり、、、

そして、帰りが遅い娘の私たちを心配して、
寒い冬でも夜遅くまでこたつに入って私たちの帰りを待っていてくれました。

当時はいつもの当たり前の光景でしたが、
今思うとなんて大事にしてくれていたのだろうと胸がいっぱいになります。


当たり前のようにうちに帰ったら、
こたつにちょこんと座っていたおばあちゃんがもういません。 


悲しいです。
もっともっと私はおばあちゃんに返せたものがあるのではないかと、今すごく思います。

もっともっと「ありがとう」と言えたらよかった。 



お葬式が終わって、家族4人で食卓を囲みました。
席はひとつあまっていましたが、
父と母と妹と話してごはんを食べた空間が本当にあったかくてうれしかったです。


この数日間、さみしくて、
誰かに会いたいような、ひとりでいたいような。
誰かに話をきいてほしいような、話したくないような。

そんな気持ちでいました。 

でも名古屋にいる仲間の大切さを身に染みて感じていました。
幸せだなぁと思いました。

賽ノ目でやったHome in Journeyのことも思い出しました。

家族のような…って、
あのころの意味が今やっと追っかけてきているような気がします。


とにかく今生きている私は、
家族、そしてまわりにいる人たちを大切にし、
いろいろな時間をともにし、
あーでもないこーでもないといろいろな話をして、
相手を想い、自分を想い日々を生きていきたいなぁと思います。

そして、「ありがとう」と伝えていきたいです。




そして最後に音楽。 
この数日間ずーっと私の近くにいてくれました。
寄りそってくれました。


いつもありがとう。 



「僕は死ぬように生きていたくはない」



あれから10年たって、やっとすんなり自分の中にこの歌詞が入ってきました。

思っていたよりもシンプルなことだったんだね。



おばあちゃん、ありがとう。




そして、
さようなら。